学びとは自由で楽しいもの
私がホームスクーリングという言葉を知ったのは、ごく最近です。
3月に「寺子屋ふきのとう」という、学校にいけない、いわゆる不登校や引きこもりと呼ばれる子どもたちを対象にした生きる力を育てながら、勉強も教えるというコンセプトの寺子屋を立ち上げました。
その時点でも、ホームスクーリングというものを知りませんでした。
ただ漠然とですが、学校だけが学ぶ場所ではないことを伝えたいという思いはありました。
「寺子屋ふきのとう」を作ろうと思った理由は、学校や家庭に居場所がないと感じた時に、ふらっと立ち寄ることのできる場所を作りたかったからです。
私自身が、子供のころ家にも学校にも居場所がない、そんなことをよく感じていました。
「私がだめだから、学校に行きたくないと思ってしまうんだ。」と自分を責め、「学校に行かなきゃ。勉強しなきゃ。普通にならなきゃ。」と周りのみんなと同じでいよう、と必死でした。
今考えると、無理して学校に行かなくてもいいのでは?なんて考えることができますが、幼いころは学校という環境がすべてのように思えていたんですね。
しかし、時代もどんどん変化しています。学びのカタチもゆっくりではありますが、変わってきました。
ここで、明確にしておきたいのですが、私は学校教育を批判しているわけではありません。
むしろ、両親は教員なので頑張っている姿を見ていますし、自分も教員免許を取り、学校教育に携わろうとしました。ですが、学校での勉強に違和感を持っていたことも事実です。
試験でいい点を取り、みんなと同じことにしっかり取り組まなきゃいけない教育方法は、息苦しく、考える力の妨げになると私は思います。
前置きが長くなりましたが、この違和感を払拭してくれたものが、ホームスクーリングという考え方でした。学ぶ形態を子供が自分で選択していく、学校を利用して学ぶ。そして、親も一緒に成長していく。目から鱗でした。もっとホームスクーリングを広めていきたい、と思いました。
しかし、現代は共働きの家庭がほとんどです。子供を学校に行かせずに、自分たちの仕事も減らす、となるとホームスクーリングは受け入れられないと考える家庭が多いと思うのです。
そこで、ホームスクーリングの形態を取り入れた学校でも家でもない、しかし、安心できる場所を私は作っていきたいと考えています。まずは、ホームスクーリングという考え方があるということ。知ってもらうこと。ホームスクーリングには興味があるけど、なかなか難しいという方々の交流の場にもなっていきたい。
学ぶことはもっと、自由で楽しめるはず。
ホームスクーリング見習いとして自分自身も学んでいこう、と思います。
寺子屋ふきのとうが考える学び
4月も半ばに入り、鹿児島は20度を超す毎日、だったのですが、今日は寒の戻りでしょうか、とても寒いです。
そんな中、中学生の息子さんを持つお母さんからのお問い合わせを頂けました。
どうしても、中学校に行きたくない、とのことでふきのとうに土曜日に見学に来てくれるみたいです。楽しみ半分、緊張半分。
このようにお問い合わせを頂けることは本当に嬉しいことです。
そもそも「寺子屋ふきのとう」とは何をしているところなのだろう?と、FacebookにInstagram、チラシやリーフレットを見てもわからないと思うでしょう。
なぜなら、鹿児島ではホームスクールという言葉の認知度がまだまだ低いからだと思うのです。
だからこそ、皆さんに知っていただきたいという思いが強く、どのように広まっていくのかなあ、といった楽しみでもあります。
私個人の考えとしては、「ふきのとう」を私一人で作り上げていこう!というような考えはなく、来てくれた子どもたち一人一人が考えていることや、興味のあることを教えてもらいながら、みんなで作り上げていきたいと思っています。
実際、子どもの発想や色彩感覚は本当に素敵で、室内を彩ってくれています。
私ができることといえば、子どもが安心できる環境を大人としての観点から作ることくらいです。
去年まで学校に行きたくないと言っていた男の子は、春休みにふきのとうでストレスを発散できたのか、新しい学年になってから学校に行き始めたみたいです。
そんな感じでいいと私は思うのです。学校にも行きながら、学校で学べないこと、もしくは学校では足りない、もっと学びたいと思ったことをふきのとうで一緒に勉強する。
自分で学ぶ形を選んでいく。
人生において選択していくことはとても重要なことだと思うので、選択していく力をつけていってほしいです。これこそ、生きる力にもつながるようにも思えます。
だからこそ、学びの新しいカタチとして学校に行かなくても学ぶことはできる、ということを時間がかかってもいいのでお伝えしていきたいなと思っています。
私も今ホームスクーリングについては勉強中ですし、こうして文章を書き、画像を張り付けることも日々学びになっています!知らなかったことを知った時、しかも自分なりのやり方でたどり着けたとき、その時はきっと子どもも大人も嬉しいはず。
その思いを共有していきましょう。